こんにちは。ながしまゼミの石川です。
もう8月になりますが、雨が続いていますね。
いつにになったら梅雨明けになるのでしょうか…。

雨ばかりだと気分も滅入ってしまうので、早く梅雨が
開けてほしいと思っております。

さて、今回はゼミの取り組みの中で、多摩エリアと京浜工業地帯の
特に川崎の内陸部分について軍需産業という視点で比較をしてみた
結果をお話したいと思います。

多摩エリアと川崎の軍需産業の大きな違いは
工業化の始まり方と企業間の距離にありました。

多摩エリアでは、昭和初期に多摩エリアへの機会工業の移動・疎開が
起き、工業化が進んで行くことになります。

一方で、川崎では1906年から横浜製糖の川崎工場の設立をきっかけに
工業都市化が進んでいきました。

また、軍需企業の位置関係についても川崎は南武線を中心に企業間が
近い分布をしていました。しかし、多摩エリアでは川崎と比較して
国鉄や私鉄の周りに少なく企業間の距離が遠くに位置していました。

以上のように各地域の軍需産業について比較したことによって、
軍需産業と一言で言っても違いがあるということが分かりました。

地域の比較を行うことによって、より地域の特徴について
理解を深めることができました。

参考文献

川崎労働史編さん委員会(1987)
「川崎労働史 戦前編」出版 川崎市1214項

星野 朗 [1998]「昭和初期における多摩地域の工業化」
駿台史学(インターネット)
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/13372/1/sundaishigaku_105_117.pdf